英国滞在エッセイ

I've Queued at Wimbledon

6月下旬。1999年の英国滞在期間中にもWimbledonのテニス選手権はいつものように行われていた。この選手権の行われる時期に英国に滞在することはおそらく二度とはない。英語の教材でもウィンブルドンはよく取り上げられている。ウィンブルドンのコートでテニス観戦をしたという経験は今後の英語の授業でも役に立つこともあるだろう。そう考えると、特にテニスが好きでなくても、実際のコートを見学したり、試合を観戦したくなった。残念ながら、日本の伊達選手、松岡選手は既に引退しているので、彼らのプレーは見られない。しかし、英国ナンバーワンのヘンマン(Henman)選手が大活躍し、英国中が大喜びをしていた時で、この選手の勇姿が見ることができればと昼前に家を出た。

レディングから列車でロンドンに入り、地下鉄のDistrict LineでWimbledonへ向った。下車駅は地図で見て、Wimbledon Parkが近いと思っていた。駅の名前からもそう判断して当然だったのだが、乗客のほとんどが一つ手前のSouthfieldsで下車し始めた。この乗客たちはほとんどがWimbledonのテニスコートへ行くように思われたので、私もこの駅で電車を降りることにした。たとえ間違っても一駅のことで大したことではない。幸い、もう一度地図で確認して、確かにこの駅の方がコートに近いことがわかった。

駅の外に出たが、コートは見えなかった。家並みが見えるだけで、どの方向へ行ったら良いのかまったく分からなかった。地図で確認するまでもなく、地下鉄を降りた人について歩いていけば間違いないだろうと判断した。途中、ダフ屋から、“Do you have a ticket?” 声をかけられたが、値が高いことは分かっているから相手にしなかった。ほとんどの人も無視していた。5、6分程歩いたところで、反対側の歩道で何人かの人が待っているのが見えてきた。そこは人の列の後部であった。ちょうどそこに、Informationと書いた看板を持って座っている女性がいて、チケットの購入に関するパンフレットを配ってくれた。

事情はよく分からないまま、とにかく列に加わることにした。同時に列に加わった婦人に尋ねると、チケットを持っていない人はここで列に並ぶのだと教えてくれた。婦人は英国人のようで、Wimbledonに関しては事情を良く知っているように見えた。しかも、食べ物、飲み物、本をちゃんと持参し、列待ちをしながら本を読み、時々かばんから果物などを取り出して食べていた。この婦人の場慣れしているやり方に、何か長丁場を覚悟しているような雰囲気があった。実際、この列待ちは恐ろしいほどの長期戦となったのである。

列はなかなか進まない、15分毎に10メートルぐらいずつ進んでは止まるという進度であった。時々小雨が降る中をいらいらしながら列待ちをしていると、Wimbledonの関係者だろうか、若い女の子がやってきてステッカーを配り始めた。列待ちしている人を退屈にさせないようにとの計らいであろう。トイレットペーパーの数倍もあるようなロールを肩に背負い、ロールからステッカーをちぎってくれる。ステッカーには“I've queued at Wimbledon in the rain”と記してある。これを見て笑わないものはいない。この英国的ユーモアには、長い列待ちの苛立ちを押さえてくれる何がしかの効果があった。よい記念になりそうだと、何枚ももらっている人もいた。私も4、5枚もらった。

 ステッカー(直径約6cm)


この列待ちは、驚く事なかれ、1時半ごろに列に加わり、列で待つこと約5時間。やっと入場できたのは6時過ぎであった。しかし、英国の夏の夜はいつまでも明るい。試合は9時近くまでナイター設備なしで行われる。まだ十分に試合を楽しめる時間であった。

しかし、どうしてこんなにも長い間、多くの人が列待ちをしなければならないのか。ほとんどの人が前売り券を買ってないことを不思議に思った。その理由は、列待ちの時にInformationで配られたパンフレットを読んで理解した。センターコート、No.1コート、No.2コートのチケットの大半は、public ballot(一般投票)で前売りされている。また、会員などにも協会から売られる。しかし、それ以外のチケットはすべて当日販売の方法をとっているのだ。これは、チケットがヤミ値で売られるのを避け、すべての一般大衆が公平にテニスを楽しめるようにとのポリシーがあるからだという。サッカーなどの主なスポーツのチケットがすべて前売りされるのとは異なっている。

チケットの代金は、センターコートが42ポンド(当時1ポンドは約200円)、No.1 コートが37ポンド、No.2 コートが26ポンドである。これらの席は指定されている。他に、Ground Admission Onlyというチケットがあり、他のNo.19までのどのコートでも自由に入れる。特に席は指定されない。このチケットの代金が10ポンド。このチケットは5時以降には7ポンドになる。今回はこれで入場できた。思っていたよりはるかに安い。以前にジャパン・センターで価格を尋ねたところ、センタ−コートなどのチケットに対しては175ポンドから200ポンドを提示していたが、かなりプレミアムを取っていることが分かる。しかし、この値でもテニスの好きなファンにとっては安いのかもしれない。結局は、本人の価値判断だ。

ところが、残念な事に、入場する少し前ごろから降り出した小雨が本格的になり、入場した時にはすべてのコートの試合が中断されていた。腹もすいてきたのでこの間に腹ごしらえをと、レストランへ行ったのだが、試合が行われない間に考えることは誰しも同じであった。レストランには又もや人の列。トイレにも、土産売り場にも、博物館にも、列、列、列。Wimbledonに来たのは正に列を作るためにやってきたようなものであった。

天気が回復する気配は全くなかった。やがて場内放送がながれ、以後の試合は行われないと説明された。時刻は7時半。人々は帰宅し始めた。駅に続く歩道はまたもや列を作る人で埋め尽くされていた。